建築すること、生きること

建築すること、生きること

先日ふと気づいたのです。
僕が22歳の時に、この建築設計の世界に飛び込んで、今年でちょうど15周年です。
22歳で上海に渡り、磯崎新アトリエに拾ってもらってから、僕の人生の大筋が出来上がったように思います。
その後日本に帰国し、福岡を拠点に定め、松山建築設計室にお世話になり、日本社会の中で「ものをつくる」ことのコントロールの難しさを学びました。
そして独立し、多くの素敵な人々との縁に恵まれ、今日に至ります。

かるく思い出の表面をさすってみると
とても濃密な日々の色と形と手触りがあります。

おもえば、この15年間の各フェイズに、途方もない挫折とどん底の日々がありました。
その暗さは、隣に死のぬくもりを感じるほどのものでした。

それでも、どんな状況に至っても、僕は「建築することを」やめる、というアイデアを抱いたことがありません。一瞬たりともです。
広義な意味において「ものづくり」=僕にとっての「生きること」だからなのだと自認しています。

それが結果的に、建築を継続することに繋がっている。
継続だけが価値なので、僕にわずかでも価値があるとすれば、連綿と継続されてきた建築行為に由来するのだと思います。

「建築すること」で、たくさんの喜びと悲しみ、出会いと別れがありました。
それら全てに意味があるとしたら、僕が「生きること」も、少しは輝きを持てるかもしれません。
悲しみの果てに、パライソを夢見てつくりつづけます。
宣誓。